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『第三世界の長井』 タイトルページ


最初の1ページ

1コマの示すもの

 『第三世界の長井』は帽子の少年がEアンカーの封筒を開くアバンタイトルの後、断続的なカット(コマ)の連続するタイトルページをもって始まる。
 中でも、右ページ最後の一コマはとても啓示的に見える。通読した読者がこのコマを読み返すとき、見知った顔が意外な形で登場している事に気付くだろう。
引用:ながいけん『第三世界の長井(1)』p.4, 小学館, 2013
 ここに描かれているのは未来に起きる事、過去に起きた事、あるいは別の時空の出来事のうちいずれかだろうか。どうあれ、現在語られているストーリーとの間に大きな展開を挟んでいるのは確かだろう。

 まず目を引くのは、帽子の少年がその帽子を脱いでいることだ(⑤。以後、リンク「図」から参照できる)。外出時は常に長袖だったシャツが半袖な事も違和感に拍車をかける。
 もっとも、少年が帽子を脱ぎ半袖でいる姿は劇中でも描写されている。第七話・八話冒頭、自室でくつろぐ(?)様子では無帽で半袖シャツ姿だ[2-26,66]。帽子については公安の男(?)が「帽子のあのロゴ…」[2-156]と意味ありげに独白しているが、これが少年の特異性を示す記号なのか、単に少年をその場で区別するための目印だったのかは曖昧である。前者であればこのコマでは少年が能力を失っているとも考え得るが、後者であればこれは単に部屋着のまま外に出ているに過ぎない。むしろ少年が部屋着のままで外に出ているという(劇中まだ一度も行なっていないという意味での)異常事態に驚く事もできるだろう。
 似た意味では仲間達と部屋に籠もっているか、それ以外では電話口にしか登場しなかったカンジが外を歩いている(⑨)事も一種特別な出来事と言えるだろうか。

 より大きな異常を示すのは、画面左下、地面に落ちたトゲとゼンマイである(⑪)。これが博士とうるるの頭頂部にあった物だと推測するのはたやすい。
 帽子の少年がその帽子を脱いでいる事と考え合わせれば、これは主要人物がそれぞれシンボルを失った図だとも言えようが、ただし音那のマイクや長井のぬくもり棒などが落ちてはいない点に注意も必要である。
 それをさておけば、図が「多くのアンカーの効果が失われた(=元に戻った)世界」の場面だと感じるのは自然な事ではあるだろう。現にうるるであった(元に戻った)少女らしき姿③の三人組の右に確認できる。元々うるるであった少女は長井の級友であり、この図③と同じ髪形・身長差の三人組で行動した[2-135]。とは言え画像から得られる情報が少ないので、正しくこれがその少女達なのかまでは不明だが。

 一方、この場面にアンカーによる異常が無いとは言いがたい。ことに目立っているのは幼児たち(⑩)で、明らかに通常と異なる画風で描かれている(顔は無論だが、脚の直線的でバランスを欠いた描写にも注目されたい)。それは一昔前の交通安全のマナー喚起や通学路を示す看板によく見られた人物画と思しいが、ともかく異なる画風で描かれるのはアンカーによる異常に多く見られる特徴である。

 謎めいているのは、リーゼントに特攻服の不良らしき人物だ(④)。一見して、彼の顔はオタ丸のそれと同一に見える。
 素直に考えるなら、警官に通報をイタズラ扱いされたオタ丸が「…しょうがねえよ。 / この辺の警官は俺があいつの兄貴だって知ってるし…」[2-100]と諦める「あいつ」、つまりオタ丸の弟がこの図④の人物なのであろう。オタ丸のセリフは弟/妹が警官に迷惑をかける問題児だと示しているが、それを裏付けるのがオタ丸にそっくりな顔をもつ不良、図④の姿である。
 むろんオタ丸の弟/妹はまだ劇中に登場しておらず、この人物がそれだとは限らない。
 彼の顔がオタ丸とよく似ているのは、この人物がオタ丸本人だからと考えてもいいだろう。オタ丸が何らかの事情(例えばアンカー)でリーゼントになり特攻服を着たとしてもおかしくはない。
 あるいはオタ丸として我々が知る姿が既に「歪められた」状態で(「オタ丸」という名前はニックネームのように呼ばれているが、それは「関羽」「張飛」のようにEアンカーの設定かもしれない)、この不良の姿が元々の姿だったと考える事もできよう。

 この場面には、作者の前作『神聖モテモテ王国』のキャラクターも登場している。
 見間違いようの無いのは「キャプテントーマス」の姿だろう(⑧)。トーマスは『第三世界の長井』劇中でも、衝撃星人との戦いを木の陰から見つめる形で[2-131]既に登場人物の仲間入りを果たしている。それ以前ではうるるが「アンチテーゼ」≒宇宙人について説明する中にもその特徴的なシルエットが見て取れ[2-122]、彼はこの物語では宇宙人として現われるのかもしれない。
 またもう一人、帽子の少年の後に続く男性も『神聖モテモテ王国』に登場する「アンゴルモア大王」と思しい(⑥)。スーツにソフト帽の出で立ちは普段の(邪教の司祭めいた、あるいは「変なメーテル」と呼ばれた)奇抜な格好とは大きく異なるが、同作「教団の戦い」の回でこのスーツ姿が披露されている[ながいけん『神聖モテモテ王国(3)』p.74,小学館,1998]。同作によればむしろスーツ姿が普段着と言えるのかもしれず、この場でこの装いは自然とも言えるだろうか。
 この二人の存在を前提にすれば、さらに人物②の右側にかすかに見える、はためく布状のもの──つまり男に隠れて見えない人物の服装の一部(①)──は『神聖モテモテ王国』の主人公の一人「ファーザー」のマントのようにも見える(ファーザーが自称「宇宙人」である事も『第三世界の長井』との関連を思わせる)。とは言え、これをファーザーのマントとするなら、図中の位置関係と身長とにいささかの齟齬も感じられる。そもそもただ1枚(?)の布地だけを見て、これが誰の服であると推定するのも少々ナンセンスではあろうか。
 最後に念のためとしてではあるが、②の人物は『神聖モテモテ王国』「聖者の導き」の回[ながいけん『神聖モテモテ王国(7)』p.103,小学館,2008]に登場する自殺志望の謎めいた男性に雰囲気こそ似ているものの、髪の分け方の左右、タバコの有無、スーツの色など違いが多く、安易に同一人物とは呼べないと指摘のみしておく。

 他にもこのコマには印象的な風体の人物が多数いるが、今の時点での過大な想像は控えておくべきだろう。

「設定」

 このページにはセリフは無いが、字幕めいた形で文字情報がカットの間に挿入される。
 最初は「設定10 主人公の両肩には世界の命」[1-4]である。後半部が途切れているものの、これがEアンカーの設定を示すのは議論の余地がないだろう。
 次の文章も「この物語はフィクションであ」[1-4]と、やはり文章が途切れている。この文面は一般的に読者/視聴者に向けた但し書きの定型句(例えば「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは関係がありません」)の一部のように見える。

 先に言えば、この文章は但し書きではない。なぜなら、「この物語はフィクションであ」と途中で切ってしまっては、但し書きとしての意味をなさないからだ。通常こうした但し書きはフィクションを事実と混同されないよう出版社などが予防線として記しておくものだが、仮に現実と『第三世界の長井』を混同した人物がなんらかの批判を訴えたとしても、「この物語はフィクションであ」としか書かれていないこの文章は出版社にとって何の役にも立たない。
 (ちなみに『第三世界の長井』を含め小学館「ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル」レーベルの単行本には、基本的にこういった但し書きが書かれないのが通例だ。史実を舞台にしたフィクション『信長協奏曲』や『アサギロ』であっても、である)
 ではこの文字列は何なのか? これが但し書きで無いのならば、物語の演出と考えるほかないだろう。

 「この物語はフィクションであ」 この文章の後に何が来るのかは想像するにたやすい。文法上、「である」「であり、……」「であろう」「であるが、……」等、いずれにせよフィクションである事は肯定されるだろう(肯定否定どちらにも解釈しうる「で」で切らず、「あ」で切った作者の意図もそこに透けて見える)。
 謎のEアンカーによって世界が改編される『第三世界の長井』は、確かに言われるまでもなくフィクションだろう。しかし、現実が出来の悪い虚構によって侵食されるというストーリーにおいて「この物語はフィクションである」という言葉は本来の意味よりも重い。この一文によって、我々読者にとっての現実から作品『第三世界の長井』はドライに切り離され、作中の現実と虚構のせめぎ合い、帽子の少年や音那達の抵抗がただのフィクションに過ぎないと通達されるからだ。それは(比喩表現だが)血の通った登場人物達にとっては残酷な死刑宣告である。

 また、既に「設定10」がよく似た形で登場している事にも注目すべきだろう。
 「設定10 主人公の両肩には世界の命」[1-4] こうした形でEアンカーの設定は途切れているが、ならば「この物語はフィクションであ」の前方に「設定×」の文字が切り取られているとは想像できないだろうか?
 つまりこの文面は元は「設定× この物語はフィクションである」だったのではないか。
 再三書いた事だが『第三世界の長井』作中では、長井を中心にした異常を「物語」と称し、Eアンカーの設定も「物語」の設定という体裁で書かれる。その意味で、この想像上の設定Xの文面は何ら不自然ではない。
 この文脈では、作中人物の抱える矛盾はいっそう深刻な物となる。Eアンカーによって生まれる異常全てが「フィクション」であるにも関わらず、(登場人物にとっての)現実はそのフィクションに置き換えられていく。我々自身で例えるなら、いまあなたの生きる現実の一部がフィクション(あなたが想像する何らかのフィクションで構わない)と化し、しかもそれが現実だと置き換えられてしまった状態だ。それは存在の意義や存在そのものが薄っぺらなフィクションに乗っ取られる事であり、(あるいは近視眼的には楽しかろうとも)根本的なレベルからの実存的不安であり恐怖となるだろう。
 あるいはその恐怖を端的に示す言葉としての「この物語はフィクションであった」だとすれば? 現実が物語に侵食された後らしきタイトルページの数コマ、それを語る絶望を表わすナレーションとして適切に思える。

 次ページでは、やはり字幕的に英文「Real is no more than material.」[1-5]が挿入される。この文章は先頭が大文字で末尾にピリオドがある事から、切り抜かれた欠片ではなく独立した一文だと考えられる。先頭に「設定×」の字が入らないとも限らないが、英文のEアンカーというのはいささか想像しがたい。
 ともかくこの文章を直訳するなら「現実とは素材に過ぎない」となるだろうか。現実を足がかりに、フィクションが現実に置き換わっていく物語と符合する内容であり、ここにも共通するのはやはりフィクションと比べた「現実」の軽視である。

 現実がフィクションより上等とは限らない、とはよく言われる事だが、ここで提示されているのは作者の現実への厭世的視点、物語への賛歌のテーゼなのだろうか。それともまったく反対に、この作品における最大の敵──物語による現実の侵食を印象づけ、作品を通じて現実を見直す事が作者の狙いなのだろうか。あるいはそうした「解釈」自体がナンセンスであるかもしれないが、どうあれ読者はその答が作品によって示される時を待つ必要があるだろう。


コラム:第三世界の神聖モテモテ王国

 『第三世界の長井』には、作者の前作『神聖モテモテ王国』のキャラクターが登場する。
 『神聖モテモテ王国』のキャプテントーマスが『第三世界の長井』に登場するなら、他のキャラクター達はいったいどうなったのか? あるいは『第三世界の長井』は前日譚で、登場人物の誰かがアンカーによって歪められた姿が『神聖モテモテ王国』の登場人物なのか? それとも二作はパラレルワールド的に並立し、全く別の物語になるのだろうか?
 興味は尽きないところだが、ともかく二作の映像面ではこのような一致がみられる。

引用:ながいけん『第三世界の長井(1)』p.34, 小学館, 2013引用:ながいけん『第三世界の長井(1)』p.7, 小学館, 2013

引用:ながいけん『第三世界の長井(2)』p.68, 小学館, 2013引用:ながいけん『第三世界の長井(1)』p.7, 小学館, 2013

 まったく同じ場所が描かれている事が分かるだろう(前者は構図上やや分かりにくいかもしれないが、画面左側のはり・灸院の看板を中心にしたビルの側面が同一である。特に左向きの矢印型の表示、それに駐車された自転車に至るまでがまったく同じように描かれている)。

 ただし、忘れてはならない。『神聖モテモテ王国』でアンゴルモア大王が居を構える──つまり主人公達が住むマンションの一部は「デビル教団町田支部」なのだ。『第三世界の長井』の舞台が田無と言えるのは「そう背景に書いてある」という理由からだが、『神聖モテモテ王国』でははっきりとセリフに何度も町田の名が登場している。
 町田市町田駅と西東京市田無駅間は、直線距離でさえ約22km以上になる。単純に彼らが歩いていずれかの場所にたどり着いたと考えるのは無理があるだろう。
 町田と田無、この二点をつなぐ何らかの発想の飛躍が必要になると思われるが、今のところあんまり深く考えるつもりは私にはない。