『第三世界の長井』 帽子の少年
まことの人にして神なるは
ゴッドメンシュ
帽子の少年は何者なのか?
本人曰く「…神。」
[2-32]
神という表現は実際のところひどく曖昧だが、客観的な視点からはこんなセリフがある。「あれが…あんな子供が連中の言うゴッドメンシュ… /
[2-156] 公園の衝撃星人の騒動に駆けつけた公安(公安警察か)と思われる[2-140]人物の言葉である。
「ゴッドメンシュ」はしばしば「ヒトラーの予言」という(多くはオカルトや陰謀論としての)文脈の中で使われる言葉で、日本語では「神人」と訳される。原形にはニーチェの提唱した「超人(
「設定70 博士の一人称は『わい』
」を決めた「I・Nくん
」[1-68]との関連が(かすかに)疑われるが、材料があまりに少ないのでここでは措く。
無自覚の行為
帽子の少年が人から神に近付いた字義通りのゴッドメンシュ(と言ってもヒトラー自身がゴッドメンシュだと呼ばれたり定義の曖昧なところはあるが)だとしよう。
その能力が最も分かりやすい形で表われているのは火山噴火星人を消した場面だろう[2-96]。調子に乗る火山噴火星人に帽子の少年が「てめええ。」
と叫んだ直後、火山噴火星人は奇怪なパースを描いて消失した。これは物理的異常(奇蹟)に見える。
だがその直後、少年もまた「…え? / き… / 消えた… / …殺っちまったのか?」
[2-96,97]とまず意外さを顕わにし、自分のした事にはっきりとした自覚がない様子でいる。その程度に奇跡的で、その程度に制御の難しい能力と言えるかもしれない。うるるには「お前があんまり邪魔だとはずみで殺しちゃうかもしれねえんだよ。 / 俺の前じゃお前いつでも死なねえ様に気を付けた方がいいと思う。」
[2-154]と彼自身「はずみで」殺してしまう(=奇蹟を起こしてしまう)危険性を訴えてもいる。
殺人(消失)でなくともこうした「はずみで」の発現は起こるようで、クッ付カセル星人に対しても能力を使っていたらしい描写がある。鉄仮面(クッ付カセル星人)が怒りにまかせ本気の技を出そうとした瞬間、少年は「やべえ、 / やめろ。」
と叫んだ[1-153]。直後にまず鉄仮面は技を出す途中で警官に邪魔され、再度技を出そうとしたところ今度は必要な「技名」を忘れていることに気がついている。「エレクトリカル・ダーク… / 何だっけ。 / 待てよ、マジで忘れてんぞ。」
[1-154] 鉄仮面は結局逃げ出すはめになるが、少年は「やっぱあれって俺が止めちまったのかな…」
[1-156]と緊張した面持ちでいた。ここでもやはり帽子の少年は自覚がなく、自分が我を忘れかけたことと鉄仮面が技を出せなかったという結果から推測して、おそらく自分のしわざだろうと考えている。
思考の調整
すべてが無自覚に行なわれているというわけではない。衝撃星人との邂逅時に周囲の一般人を遠ざけた事が例に挙げられるだろう。
長井と衝撃星人との異様な戦いが始まる中で、注目しようとする周囲ができるだけ自然にその場を離れるように、彼ら自身の言葉で「おい売店 行かね?」「ねえ おしっこ。」
等と発言を誘導している[2-131,132]。訝しむうるるに少年は「俺のアンカーでなんとか遠ざけてんだよ、けどこんな大勢じゃこれ以上は制御する自信がねえ…」
[2-132]と説明した。
似た例としてラーメン星人と長井の戦いでは、一部始終を目撃し驚き慌てる一般人の思考を調整している。「あれ? なんだっけ。 / あ…ラーメン。 / …でも。 / いや…考えてみたら… / そこまで驚く事でもネエヨナ。」
[2-62] この場面での少年の様子は遠方を睨みつけているだけなので、「一般人の思考が自分以外に調整されていく様子を眺めている」と解釈もできる(その後の独白「周りもドンドン歪んでく…この調子じゃあっちこっちでもっとヤバイ事が起きてんだろうな…」
[2-62]も人ごとのようだ)が、先に見た衝撃星人の件とあわせれば帽子の少年自身が行なったとみるのが自然だろう。ここで彼の言葉が指す「ドンドン歪んでく」周りとは一般人の男ではなく、ラーメン星人(たからかに皇女ヴェーレを名乗っていたが、丼を失って比較的まともな思考に戻った[2-59]──つまりヴェーレであった間は「歪んで」いたと言える)だと考えるべきだ。
人間の思考をかなり不自然な域まで操作できるというのは、目立たないにしろ確かに神の領分にあたる能力だろう。
透視現象
もうひとつの能力として、千里眼/透視現象についても触れるべきだろう。
劇中で初めて明白な形で表われたのは、第八話冒頭、帽子の少年の部屋でのことである。食事をしながらEアンカーの手紙を読んでいた彼が不意に振り向くと、次のコマでは場面が切り替わり、音那が(大勢の起立する会議室のような場所で)こちら側を振り返っている。これは単純な場面転換ではなく、音那と帽子の少年の視線が交錯し、あげく少年は「…なんだ あいつ、 / 見てやがった。」
と言っている。[2-67,68]
漫画の文法に忠実に考えるなら、音那の出ているコマは少年の視点だと考えるのが妥当だろう。帽子の少年はどこか別地点にいる音那の姿を見て、音那もまたその地点から少年を見ている。少年のセリフ通りなら先に音那が少年を見、少年が「自分を見ている音那」を見たという順番になるだろう。
この順序は帽子の少年が「見る」ことの主体性を持っていないことを示している。言いかえれば少年は「『自分を見ている相手』を探して音那の映像にたどり着いた」またはもっと消極的に「何かを感じて振り向くと音那の映像が(勝手に)見えた」という事になる。
この次に起こる現象は、火山噴火星人との戦闘中のことである。火山噴火星人と長井のやりとりの途中、唐突にポポカテペトル火山噴火が描写されたコマが挿入され、それは帽子の少年の驚愕の表情と交互に展開する[2-94]。これも漫画の文法上では、帽子の少年が火山の噴火を「見た」と言えるだろう。実際この場面では少年ひとりだけが激しい危機感を感じ、「長井… / やべえ。 / そいつを殺せ。」
[2-95]とまで叫んでいる。
ここでも帽子の少年が火山を透視することに主体性は見られない。火山噴火星人によって見せられたか、あるいは火山の噴火(アンカーによる異状)によって勝手に見えたかのいずれかだろう。
なおこの後、火山噴火星人とうるるが退場して事態が一段落したときにも、唐突に1コマ火山のショットが入り少年は「あ… / そ… そうだ… / 火山…」
と思い出して慌てている[2-102]。これは漫画文法としては透視現象の表現とも単に「思い出しただけ」のイメージ表現ともいずれにもとれるので、考慮しないでおく。
もう一点は、公園での衝撃星人戦との戦いのラストシーンである。博士によって長井が転送され、帽子の少年が「でも どこへ…」
と口に出した直後、巨大な移動要塞のカットが挿入され少年が驚愕する[2-150]。
この場面の描写では、少年が「どこへ…」と主体的に要塞を探したともとれるが、一方で「な… / なんだ…今の… / くそ…もう見えねえ。」
[2-150]と見失ってもいる。むしろ今までと同様、本人の意志と関係なく映像が見え、それがたまたま疑問に思ったタイミングだったという方が理屈には合うだろうか。
また衝撃星人戦後に公園から姿を消した帽子の少年は、豪華な建物の廊下で振り向いた音那のビジョンと交錯している[2-157]。ここでは音那は明白に少年に向かって「創る事は壊す事… / ショウ… / 今は手に入れた全てのものを捨て去る覚悟を持て。」
[2-157]と言葉を投げかけ、少年も「…壊す? / 捨てろ? なんで?」「そんな服いつまでも着てんじゃねえ。勝手にショウとか呼ぶな。」
[2-157,158]と(おそらく独白で)応えている。ここで他の場面に見られない要素は、「勝手にショウとか呼ぶな。」
と明らかに音那の声を聞いて反応していることだ。もっともこの場面は、少年自身の姿がどこにあるか分からない状況(単純に帽子の少年が音那の前にいたという考え方もできる)なので、一概に透視が起きているとは言い切れないかもしれない。
これらに共通しているのは、音那であったりアンカーであったり、帽子の少年自身の意志とは関係の無い要素によって透視現象が発生していることだ。そしてそれらを少年は制御できない/しない。
これが少年の限界を示すのかは断定できない。これらに先んじて、帽子の少年が自主的に透視を行なっている(かもしれない)場面もある。
ラーメン星人と長井の戦いの最中、帽子の少年は部屋の窓から彼らを見ている一般人の視線に気付く。「お…おい誰かに見られてんぞ? 今はやめとけよ。」
[2-47] そして目撃者が異常事態に興奮する様子と少年の舌打ち[2-52]を挟んで、最後には目撃者の思考を調整している[2-62](この調整については前述した)。
このケースにおいて帽子の少年の透視が行なわれているかはいささか疑わしい。目撃者はそもそもラーメン星人の大声など騒ぎを耳で聞きつけてカーテンを開けたのだし、であれば距離はそう遠く離れておらず、逆に帽子の少年にも目撃者の様子が(能力の如何に関係なく)視認できたろう。目撃者は最後にはカーテンを閉じて部屋(目撃者)と外(帽子の少年)を遮断しているが、この時点で少年にとって目撃者の姿が見えている必要はないし、目撃者の会話を聞き取る必要すらない(思考の調整に絶対の自信があればの話だが)。従って、帽子の少年に自主的な透視が行なえるかにもやはり疑問が残るのだ。
あるいは万能の
ここまで見てきた以外にも、第9話ラストでは立て続けに帽子の少年による超常現象が起きている(と思われる)。これらはどれも非常に短く類似例のない表現なので検証が難しい。
まず衝撃星人から「転送」で長井が去った後、帰ろうとするうるるに「おいそこ。」
[2-152]と彼女の忘れ物であるバッグを示している。このバッグは公園で長井を探している最中までうるるが持っていたが[2-125]、衝撃星人来襲の報に思わず手を放したもの[2-126]である。その後衝撃星人による攻撃で長井らの位置関係が大きく変化しており[2-135,140]、バッグは本来うるるの側にはないはずだった。うるる自身「…そこ? / あ… / あれ? うるるのバッグ。 / …え? あれ? どうして?」
[2-152]とひどく驚いている。これが帽子の少年のした事であれば、いわゆる
次に木の陰で彼を観察していた公安(?)の人物である。彼はこの少し前に「黒いキャップ帽を被った男を片っ端から… / …こんな機会はそうそうない。」
[2-146]とゴッドメンシュたる帽子の少年を拘禁しようとする意志を見せていた。その男を帽子の少年は「調子に乗んなバカ。」
とひとこと言うだけで膝を曲げさせ[2-156](もっともそれ以前に大きく膝が笑っていたので[2-155]、声を掛けられた驚きから思わず倒れただけかもしれないが)、男が一瞬目を離した間にその場を離れている[2-157]。
なぜ帽子の少年には男の意図が分かったのか? テレパシーのようなものとも考えられるが、これ以前に「大村さん
」に電話報告した際[2-139]「誰それ 公安? / なんでもう来てんの? 早すぎね?」
[2-140]と説明を受けている描写がある。この通話で状況を察したと見るのがテレパシー説よりも自然だろう。なぜなら帽子の少年が自由にテレパシーで心を読めるなら、もっと簡単になっただろう場面が他に膨大にあるからだ。
この直後、場面は矢継ぎ早に切り替わるため帽子の少年がどのようにして姿を消したのかは分かりにくい。あるいは音那の前に現われたのかもしれないし[2-157-3,4コマ目]、あるいは公園のどこかにまだいるのかもしれない[2-157-5コマ目]。
しかしここでは次のコマ、街の遠景[2-157-6コマ目]に描かれた効果線に注目したい。螺旋型に中央に向かう効果線は、映画的に言えばカメラを
一種の心象風景(帽子の少年の苛立ち)を表わす表現かもしれない。だがここに至るまで背景は常に具象的な風景表現として(なかば執拗に)描かれてきたことを考えると違和感がある。むしろ、直前の音那との邂逅が帽子の少年の一人称視点だったように、この街の遠景も少年の一人称視点──つまり少年はこのとき空中高く体の上下を反転して浮遊しているのではないか。この距離であれば地面からの傍目には点のように見えるだろうから、騒がれたくない少年の意志とも合致する。どうあれこれは憶測ではあるのだが。
少年が選んだ世界
回避される責任
この物語の読解を難しくしている原因のひとつは、狂言回しとして本来読者が感情移入すべき位置にいる帽子の少年までもが、しばしば何を考えているのか分からないことだ。
単純に彼の言葉から引用するなら「…どうでもいいもん俺。」
[1-64]ということであろうが、それにしても彼の言動は一貫性を欠いたように見える。
まず彼の公言するスタンスをあらためて確かめてみたい。
仲間達との会議の中で、「それで…どうするおつもりなんですか?」
[1-90]と当面の方針が問われた際、帽子の少年は「つーかどうしようもねえよ…」
[1-91]とあきらめ気味にコメントした後、よりはっきりした言い方で彼自身の感情をのぞかせている。「大体 俺にはもともと責任ないことじゃん。 / 音那がなんとかするってんでしょ? / やめた俺が今更口出すわけにもいかないし…」
[1-91]
翌日にはその回想とともに「知ったこっちゃねえしな… / 世界がぶっ壊れようがどうしようが…」
[1-92]とこぼしており、基本的に彼は世界に無関係、不干渉であろうとしていると言えるだろう。だが、この態度はどこか捨て鉢で自分に言い聞かせているようにも見える。世界の成り行きと無関係でいようとする反面、それを気にする感情はたびたび口にされることだ。「…いや、 / まあ… / いいや。 / 俺には関係ねえし。 / 何がどうなろうが…」
[2-19]「こんなんじゃこの先… / …関係ねえや。ちくしょう。」
[2-20]
帽子の少年がこうした複雑な態度を示す理由のひとつには、そもそも(大局的に見て)彼自身にできる事がないという問題があるだろう。「どうせもう何やったって無駄なんだよ。 /…/ 助けようにもこうなっちゃうんじゃねえか。」
[2-6,2-7]「てめえが何しようが、どうせもうこの世は終わりなんだよ。 / 下手にいじっても世界の死期を早めるだけだってんだよ。」
[2-17] これらは音那のやり方を糾弾した言葉で、実際彼の言う通りに音那のEアンカーは見当外れのでたらめなテクストを生じさせ、むしろ因果律の崩壊に手を貸している状態である。それは音那自身「うまくいってないのは認めるけどこうするしかない。」
[1-54]と認めており、二人の見解の相違は「こうするしかない」のか、やるべきでないのかの違いにある。
帽子の少年があえて不干渉を選んだ理由はすでに明らかだ。「下手にいじっても世界の死期を早めるだけだってんだよ」
と、事態をこれ以上悪くしたくないという思いがある。むろんそれは良くて先延ばし、せいぜいが現状維持でしかなく、彼の言うこの世の終わりが近いことに変わりはない。しかし帽子の少年はそれを受け入れようとしているようだ。心中にこんな言葉を呟いている。「崩れながら落ち続ける今ある世界が俺の世界だ。」
[2-158]「どうせ終わる世界じゃねえか。 / 俺だって一緒に死ぬ覚悟はできてる。 / だけどこんな醜い終わり方なんて…」
[2-28]
理性と感情の問題
では帽子の少年は達観しきったニヒリストなのか、と言えばそうではない。むしろ騒動のたびにあれこれと世話を焼いている姿を読者は知っているだろう。
多くは、騒動を隠そうとする努力として表われている。空を飛んできた長井を「やべえ ここに居ちゃ騒ぎになっちゃう。」
[2-30]と野次馬の目から離したのは分かりやすいだろう。その後のラーメン星人との戦いでも、「お前等こんなとこで殺しあい始める気じゃ… / いや俺が心配する事じゃねえんだけど…」
[2-45]「お前等が殺しあうのは構わねえけど、お前等の存在が表に出たらいろいろ面倒なんだよ。」
[2-47]と心配を顕わにしている。これは感情論だけでなく、現実的な理由もある。そのラーメン星人との戦いの中でのモノローグでは「俺は因果律の破れを表沙汰にしたくねえだけだっての。 / お前等一人や二人の生き死になんかどっちだっていいよ。」
[2-54]という。因果律の破れが観測されればその目撃者にも因果律の破れが発生し、ドミノ倒しのように(あるいはネズミ算のように)事態が悪化する。つまり一見世話焼きな少年の態度も、実際のところ現実的な無関心主義とは言えるのだ。
しかしそれだけで括り切れない、感情的な心配をしているのも事実だろう。特に宇宙人の危険性を認識して(爆破星人)以降、帽子の少年は人的被害を常に心配している。
「お前 何呑気に遊んでんだよ。 / わかってんのか? あいつ等マジでただもんじゃねーぞ? / こんなんじゃ、この先どれだけ被害が出るか… / 状況わかってんのか? お前。」
[1-127](爆破星人戦後、落としたぬくもり棒を長井に届けに来て)「宇宙人をほっとけないし… /…/ とにかくここであいつに暴れられちゃやべえよ。」
[1-140,141](クッ付カセル星人の来襲に)「あいつこのままほっといたらやべえかな やっぱ…」
[2-44](ラーメン星人の来襲に)「お前等 そんな事より宇宙人はどうすんだよ。 /…/ じゃあ火山はどうなんの?」
[2-87,88](火山噴火星人の来襲に)「おい、こんなとこで戦ったら下手すりゃ周りに被害が出るぞ?」
[2-126]「みんな離れてろ、危ねえぞ。 / …つーかなんでやめた俺があれこれ心配しなきゃいけねえんだ。」
[2-129](衝撃星人の来襲に)
最後のセリフにあるように、彼は理性的には心配する必要はないし、すべきでもないと考えている。だが感情的にはどうしても放っておけないのだろう。端的に言って、神であるにはあまりにも「お人好し」なのかもしれない(それは彼が字義通りの意味で「神」なのではなく、神に近い人であるゴッドメンシュなのだという傍証にもなるだろう)。
帽子の少年の「余計な心配」は枚挙にいとまが無く、宇宙人の危険を知る以前から長井に「せっかく心配してやってんのに馬鹿扱いか? / 俺はもともとおめえなんかどうだっていいんだよ。」
[1-94]とのれんに腕押しの長井に腹を立て、伊藤純一の力で長井が横倒しになった時には解決策を探して「ってなんで俺がこんな事心配しなきゃならねえんだ。 / おめえがなんとかしろよ。」
[2-12]とやけを起こしてもいる。彼の長井に対する評価はラーメン星人に言った通り「…え? い…いや 別に全然… / あいつ使い道のないゴミみたいなもんだし…」
[2-53]という程度のものだが、アンカーの打たれすぎで人格が歪んだ(と思われる)長井を「…こいつも不幸だよな。」
[2-31]と同情してもいる。これを「ツンデレ」という便利だが類型的にすぎる形容に当てはめるべきではあるまい(ラーメン星人には好物かもしれないが)。実際、衝撃星人戦後、彼にとっては厄介者になりかねないうるるにまで「おい待てよ、帰んの? / 一人で大丈夫かよ 怪我。」
[2-151]と声をかけてさえいるのだ。
調査員として
読者を混乱させる帽子の少年の行動の一つに、少年が積極的に長井らに関わっていることもあるだろう。帽子の少年は無視を決め込むこともできるしそうするのが自然でもあるが、実際は学校やあちこちに足を伸ばしてまで長井の様子を見に来ている。これは帽子の少年に観察者の役割が課せられているためだが、情報が細切れに与えられているため見落としやすいかもしれない。
「…長井の周りでなんかとんでもねえ事が起きてるはずなんだ。 / その書き換えは普通の奴には認識できねえ。」
[2-108] これは厳密には火山噴火星人を消したアンカーの影響に対する言及だが、カンジもひろくEアンカー全体の影響について「第一、物理法則を超えた場合その時点で象徴秩序の投射により観測不能となるわけですし…」
[1-91]と同様のことを(回りくどく)言っている。たとえば、うるる(だった少女)の髪の色が突然変わった事を、会話していた少女すら気にも留めていない[2-18]例などに顕著だろう。
このため帽子の少年は、「お前等が何者なのかちゃんと調べねえと文句言う奴等がいるんだよ。」
[1-71]と言う通り仲間たちの〈目〉として長井らの動向を調査する役割が課せられている。これは物語開始時からのことで、初めは不審なEアンカー(この時点ではEアンカーらしき物でしかなかった)の確認に長井に接近している(「お前に用があるんだ。 / 俺はお前を観に来たんだ。 / 特別な立場なんだよ 今のお前は…」
[1-15])。
これは強制ではないようで、後には「俺はもともとここ何日か興味本位で長井を見てきただけだ。 /…/ もう放っといてくれ。」
[2-27]と手を引いた様子もみられる。もっともその直後に「…やっぱり偶然じゃねえ。俺ももうこの物語に組み込まれちまってる…」
と、〈必然的に長井と出会う〉ことになるのだが。
ふたつの口癖
帽子の少年は仲間達の目となって状況を逐一把握する立場にあるが、調査員としてはあまり適格でないようで、しばしば深入りせずに観察を放棄しようとする(この矛盾も読者を混乱させる要素のひとつだろう)。
少年の言葉にたびたび登場する二つのワード「どうでもいい」「わかんねえ」はそれを端的に示すものだろう。
「もうどうでもいいよ…」
[1-47](飛ビ跳ネサセ星人との戦いを前にした博士と長井の会話に)「…どうでもいいもん俺。」
[1-64](会議にて、「このままじゃ一体どういう事になるか…」
と言われ)「もうどうでもいいよ…」
[1-86](宇宙人との戦いの決意を新たにした長井と博士の後ろ姿に)「いいだろ どうでも、」
[1-136](女子連との会話に参加しようとする長井を制して)「もうどうでもいいよ。」
[2-38](ラーメン星人との戦いの前に覚悟を決めた長井に)「なんかもう何もかも… / わけわかんねえ…」
[1-34](長井や博士、UFOを立て続けに見て)「もうわけわかんねーよ。 /…/ もう何してんだかわからん…」
[1-45](飛ビ跳ネサセ星人の襲来を告げる博士と長井との会話を聞いて)「それが…よくわかんねえんだよ…」
[1-60](仲間に状況を説明しようとして)「何がなんだかわからない。」
[1-72](Eアンカーで起こっている出来事のグダグダぶりについて)「どういう流れかわかんねえけど(…)」
[1-134](クッ付カセル星人襲来の報を受けた長井と博士の会話について)「ごめん俺もうなんだかわかんねえ。」
[1-146](クッ付カセル星人との戦いにやる気を出した長井に)「でもわかんない、(…)」
[2-111](長井の便が技だという可能性について)
このひどく狭められた語彙が何かを反映しているとするなら、それは帽子の少年の(無意識的な)諦観と苛立ちだろうか。事態は彼の手に負えず、何より彼をもってすら何もかもが分からない。
「そうだよ、みんないろんな事訳知り顔で好き勝手講釈たれてくるよ。 / お前も博士も俺の仲間も… / 宇宙人達だって… / そのくせ肝心の音那が何も言わねえ。 / 何が正しいのか今の俺にはさっぱりわかんねえんだ。」
[2-138]
音那は説明をなかば放棄し、帽子の少年は音那を拒絶している。その意味で半分は勝手な言い分ではあろうが、とにかくこの断絶によって帽子の少年そして読者も物語を細切れにしか理解することができずにいる。
神はその任を捨てた
帽子の少年と音那の断絶には、むろん何らかの理由があるだろう。少年は「敵だろうが おめえは。 / 今度は何企んでんだ? / この詐欺師が。 /…/ お前みたいなとんでもねえ悪魔と馴れ合う気なんてねえから。」
[1-9]と音那に(物語上)初めて会った時から敵意をむき出しにしている。「詐欺師」というフレーズは、少年が(少なくとも彼の主観では)音那に騙されたことを示す。後に音那と再会した時も「俺はもうこれ以上おめえに利用される気ねえからな。」
[2-17]と釘を刺しており、過去に音那に利用され望まない結果をもたらされた──と感じるだけの何かがあった事は確かだろう。むろんこれは少年の主観で、たとえば音那の善意からの提案に乗った結果、失敗に終わった事を逆恨みしている事も十分に考えられる。
いつ、何が起きたのか? それはまだ語られていないが、いくつか推測する材料はあるかもしれない。
「俺には関係ねえだろ。 /…/ 半年も前に全部やめて引っ込んでたんだぞ? /…/ もう放っといてくれ。」
[2-27](仲間からの電話に)「…神。 / …もうやめたけどな。 / 今は…もう俺が誰なのか俺にもわかんねえな。」
[2-32](長井に自分の立場を問われて)「…くそっ、でかいアンカー打っちまった。 / こんなんじゃよそで何が起きてるか… / あの時みたいに…」
[2-97](火山噴火星人を衝動的に殺してから)
順序正しく並べるなら、少年は半年前の「あの時」重大なアンカーを打ち、関係の無い「よそ」にまで大きな影響を与えてしまった。それを悔やんで現在まで(大きなアンカーを打つことをおそれ)神も何も「全部やめて」暮らしていた、という事になるだろうか。
「つーか人間なんてどれだけ殺したか桁数もわかんねえよ。」
[2-54]と嘯く少年が恐れる事態とは何なのか。物語世界では〈影響〉は一般人の目には認識できないから、描かれていない場所でどれほどの書き換えが起こったのかは少年らの視点(発言)を通してしか分からない。たとえ大陸ひとつが消失しても物語世界は平常運転を(まさに今のように)続けているだろう。あるいは世界が終わろうとしていることが影響の終末点なのかもしれない。
そういった事態を経由して、新たに起きた火山噴火星人の消去は、単純に人ひとりを消す以上の反発力(?)をよぶ行為になってしまったと帽子の少年自身の言葉に明らかだ。この影響はまだ明らかではないが、前回の失敗が少年に神を辞めさせるほどのインパクトをもたらした事を考えると、やはり今後甚大な影響が起こると推測できる。
帽子の少年が神をやめる原因となった事件にはまた、音那の存在が見え隠れする。
「もう俺が誰なのか俺にもわかんねえ」という彼を音那は「ショウ」と呼ぶが、それは帽子の少年が捨てた名前だろう。「そんな服いつまでも着てんじゃねえ。勝手にショウとか呼ぶな。俺はもう一人だ。名前なんていらねえ。」
[2-158]と彼が言うからだ。半年前の事件当時にも音那はあの服を着ていたという事にもなるだろうか。
半年前の事件以来、「俺はもう一人だ。」という帽子の少年だが、ではそれ以前には側に誰かがいたのだろうか。音那なのかもしれないし、少年の家族かもしれない(彼があまり健全とよべない一人暮らしをしている様子[2-26]は明らかだ)。いずれ答の出る時を待ちたい。
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