『第三世界の長井』 Eアンカー (2)
Eアンカーの投稿者たち
Eアンカーにはそれぞれ投稿者とでもいうべき人物が表記されている。
「設定3 主人公は平凡な高校生(担当編集者くん)
」[1-61]であれば、「担当編集者くん」がそうだ。(以下、便宜上「投稿者」とよぶ)
帽子の少年は音那にこう言っている。「…お前もうロクにアンカーを制御できてねえんだろ? / 深層意識下でほかの色んな誰かのアンカーに浸食されてて… / ほかの奴等の夢が勝手に具現化しちゃう様な…」
[2-7]この「ほかの色んな誰か」「ほかの奴等」が投稿者なのだろうか。
投稿者たちは何者なのか? 音那と近しい人物にしてはその内容は頓狂すぎるし、まったくアトランダムな他人にしては独特の統一感がある。
投稿者名もでたらめの感が強いが、一種のパターンを読み取ることもできる。
たとえば投稿者名の末尾に付けられた「くん」「ちゃん」はおそらく性別を表わすものだろう。
奇妙なのは、このパターンから外れて「くん」も「ちゃん」も付いていない5.9%の人物である。それは「匿名」および「匿名希望」の2名で、「匿名の後には敬称を外す」といったルールがあるわけではないのは他に「匿名希望ちゃん」がいることから明らかだ。つまり「匿名」氏と「匿名希望」氏はEアンカーの中で特別扱いなのである。
また、投稿者の名前から実在の人物を示すと思われるのは次の5名。
- 「モリタイシくん」
- 「荒井智之くん」
- 「アントンシクくん」
- 「森茶くん」
- 「福井ゲッターあしびくん」/「福井兀突骨あしびくん」
これらはすべて漫画家のペンネームである(最後の2件は「福井あしび」としてとらえた)。いずれも『第三世界の長井』が掲載されている漫画雑誌『ゲッサン』でともに連載を持っており、中でもモリタイシは作者ながいけんのファンとしても知られている。
これら漫画家と並び「担当編集者くん」も、文字通り漫画編集者を指しうる(余談であろうが『第三世界の長井』担当者の名前は単行本奥付によれば高長佑典)。「一号くん」「二号くん」「三号ちゃん」「四号くん」「五号くん」「七号くん」ら「×号」は、漫画家のアシスタントの慣習的な俗名表現でもある。(ちなみに「六号」はいまだ投稿者の中に登場していない)
特に漫画家のモリタイシは自身のツイートの中で、自分が考案した設定が作中に使われていると明かしている。
@hypertetu あれ、ぼくが考えたやつも採用してもらったんですよ〜(^_^;)
— モリタイシさん (@moritai4) 2013年3月12日
他の実在を思わせる人物も、やはり独自に考案した設定が「採用」されているのだろうか? 物語上の世界に(たとえば長井のクラスメートらと同列に)モリタイシという漫画家がひっそりと存在する事になっているのか、あるいは我々読者の住む現実が物語世界の音那に干渉しているのだろうか? いずれにせよ興味深い事例である。
これらと別のパターンとしては、1度きりしか登場していない投稿者名は、名前と設定の内容が強い相関を示す例が多い。
たとえば「設定39 博士は長井にやる気を出させる為に毎晩長井を鞭打っている(ドSちゃん)
[2-66]」この場合、毎夜鞭打つ行為はそのままSMを想起させ、「ドSちゃん」という投稿者名と関連をうかがわせる。
次の表には、そうした相関関係を分かる範囲で記した(前述の実在を思わせる人物は省略)。
設定12 主人公のビジュアル [画像] (堂島くん)[1-68] | |
設定32 主人公はアメリカ人でしたって事で (おてもとくん)[1-68] | おてもとは箸の意で、アメリカと対としての日本を思わせる |
設定37 博士はなんだか死にかけている (匿名希望)[1-62] | |
設定39 博士は長井にやる気を出させる為に毎晩長井を鞭打っている (ドSちゃん)[2-66] | 行為自体がSMやサディスト傾向を想起させる |
設定51 博士は水晶玉で長井の行動を把握している (五反田の母ちゃん)[1-124] | 「(地名)の母」という言い回しは占い師の古典的な呼び名(「五反田のかあちゃん」ではなく「五反田のはは・ちゃん」であることに注意) |
設定70 博士の一人称は「わい」 (I・Nくん)[1-68] | |
設定75 主人公の武器は少し大きめの石 武器名「リトルラージストーン」 (安井くん)[1-88] | |
設定83 主人公のライバル達は世界各地の山脈出身 (とりのちゃん)[1-88] | |
設定84 博士は三機のゲットマシンに分離できる (福井ゲッターあしびくん)[1-62] | アニメ/漫画『ゲッターロボ』ではゲットマシン3機が合体してゲッターロボとなる |
設定88 博士ってたまに落雷しそうですね (匿名希望ちゃん)[1-68] | |
設定94 長井は関羽と張飛という義理の弟がいる (福井兀突骨あしびくん)[1-68] | |
設定98 長井が失敗すると「KOEI」と出る (ダ・ガマくん)[1-88] | KOEIは株式会社コーエー(現コーエーテクモゲームス)のブランドで、コーエーは一時期歴史雑誌『月刊Da Gama』を刊行していた |
設定112 主人公は物事を『昭和極道史』で例えてもらいたがる (早川くん)[2-31] | |
設定113 博士が絶体絶命の危機には次元がヘリから縄梯子を下ろしてくれる (もみあげ三世くん)[1-88] | アニメ『ルパン三世』で相棒「次元」がヘリで助けに入るシーンは有名。ルパンの髪型はもみあげが特徴である |
設定116 長井の父親はコンビニの豪華なデザートが好き (ワタナベちゃん)[1-124] | |
設定133 主人公の腕には腕時計型通信機がある (ハヤタくん)[1-124] | 特撮TVドラマ『ウルトラマン』ではハヤタ隊員ほか科学特捜隊のメンバーは腕時計型通信機を装備している |
設定137 主人公の父親の名前は「ジャックダニエル」 (日没キッドくん)[1-124] | 「ジャック・ダニエル」はウィスキーの銘柄で、ウィスキーの色は俗に夕日に例えられる。「キッド」は製造元テネシー州のあるアメリカ南部のイメージか。父親に対する「息子」の意もある |
設定140 主人公は急にティッシュ箱の構造にムチャクチャ興味を持って我を忘れてその構造の解明に取り組む(解説付きで) (伊藤くん)[1-124] | 漫画『賭博黙示録カイジ』の重要なシーン。主人公カイジの姓は伊藤 |
設定142 主人公が好きな歌は「ロンリーチャップリン」 (マサシくん)[1-124] | 『ロンリーチャップリン』は鈴木聖美withラッツ&スターの曲で、メンバーでは田代まさしが有名 |
設定144 ラーメン星人、必殺技は「実写版デビルマン」 (なすびくん)[2-66] | 実写映画『デビルマン』監督は |
設定145 ヒーローの必殺技はストロング壁ハメ (虎仙人くん)[1-124] | |
設定152 スーパーヒーローは顔が濡れると力が出ねえ (ゴハンくん)[2-31] | 設定は『アンパンマン』を示しているが……? |
設定153 主人公は緊急時に馬に乗って駆けつける (王子くん)[2-31] | ピンチに「白馬の王子様」が駆けつけるのは定番 |
設定157 長井はよく車にはねられる (ジコチューくん)[2-31] | ジコチューは俗に自己中心的の意味だが、「事故中」の掛詞でもある |
設定165 火山噴火星人、必殺技は「わしはゆたかな大地になる」 (よしたけくん)[2-106] | タレント田中 |
実在の人物に関係のないかぎり、多くの投稿者名が「由来」をもつことがわかる。これらは悪く言えばずさんな命名で、少なくとも「次の投稿の機会」が考慮されていない名前だと言えるだろう。
そして次は、投稿者名の出現頻度を表にしたものだ。
名前 | 採用数 |
---|---|
二号くん | 8 |
担当編集者くん | 5 |
匿名 | 4 |
モリタイシくん | 2 |
四号くん | 2 |
福井[XXX]あしびくん | 2 |
(その他30名) | 1 |
当然の帰結ではあるが前述の〈ずさんな一度きりの投稿者〉と逆に、複数回登場する投稿者は「匿名」をのぞく全員が実在を思わせる名である。
この事実から、〈ずさんな一度きりの投稿者〉が作者が設定を作るために必要とした、フィクションの人物と考えるのは飛躍がすぎるだろうか。
次にこれら複数回登場した投稿者の傾向を見てみたい。
名前 | 設定 |
---|---|
二号くん | 設定4 主人公は正義を愛し平和を慈しむ選ばれた勇者[1-61] |
設定25 博士は防衛組織「ドングリーズ」の長官[1-61] | |
設定49 主人公はとにかく殺意を否定する[1-68] | |
設定85 主人公はくさい分泌液を全身から出して敵を追い払える[1-62] | |
設定117 主人公はスーパーヒーローに改造される[1-89] | |
設定158 ヒーローは敵を殴っていると妙にヘビーな事を口走り始める[2-106] | |
設定160 主人公は以前泣いて馬謖をメッタ斬りにした[2-66] | |
設定161 博士は道の追求の為北海道でクマと戦う[2-106] | |
担当編集者くん | 設定3 主人公は平凡な高校生[1-61] |
設定28 主人公は西郷隆盛を敬愛している[1-61] | |
設定103 主人公は死んだ父親に励まされる[1-88] | |
設定114 博士は28歳まで防衛庁技術研究部第6研究所にいた[1-124] | |
設定150 ヒーローはバトル終了後にみんなにメッセージをする[2-31および2-106] | |
匿名 | 設定5 主人公はどんなジャンルだろうとこなせる万能のスーパースター[2-66] |
設定8 博士には娘がいる[2-106] | |
設定19 主人公は博士の命令でたった一人で世界を守らされる[1-61] | |
設定151 主人公は立派な大人になりたい[2-66] | |
モリタイシくん | 設定64 博士の操作方法 Aボタン(遠距離)かいわ(近距離)ビクトリークラッシャーパンチ Bボタン(遠距離)ビクトリーパンチ(中距離)クラッシャーパンチビクトリークラッシャー殺人[1-62] |
設定110 主人公は良質のたんぱく質に目がない[1-88] | |
四号くん | 設定34 主人公の好きな歌は「サンタ・ルチア」[1-61] |
設定60 主人公の通り名は『音速の長井』[1-88] | |
福井[XXX]あしびくん | 設定84 博士は三機のゲットマシンに分離できる[1-62] |
設定94 長井は関羽と張飛という義理の弟がいる[1-68] |
「モリタイシくん」「四号くん」「福井[XXX]あしびくん」の設定がおおむねでたらめな内容なのは見た通りである。
「二号くん」の設定も意味不明なアンカーが多いが、「設定4 主人公は正義を愛し平和を慈しむ選ばれた勇者
」[1-61]「設定25 博士は防衛組織「ドングリーズ」の長官
」[1-61]「設定117 主人公はスーパーヒーローに改造される
」[1-89]といった物語の展開に大きく関わる重要な設定も含んでいる事は注目すべきだろう。
一方「担当編集者くん」の設定は基本的に物語にあまり関与しない。くだらない設定から深く関わりそうな設定まで幅は広いのだが、どれも物語を破綻もさせず展開もさせないものである(唯一「主人公は死んだ父親に励まされる」
[1-88]はたびたび登場するギミックとなったが、現時点では「父親がいたからこうなった」という事は起きていない)。中立的な当たり障りのない設定と言うべきだろうか。
ここまで見てきた5名と違って、「匿名」による4つの設定は不自然なほどに真面目な内容だ。いずれも物語の展開上マイナスになる要素がない。
一つ一つ見てみよう。「設定5 主人公はどんなジャンルだろうとこなせる万能のスーパースター」
[2-66]は少なからずやり過ぎの感があるがポジティブな内容であるし、この直前の設定3「主人公は平凡な高校生」と設定4「主人公は正義を愛し平和を慈しむ選ばれた勇者」との矛盾を解決する「設定5」として機能していることも重要だろう。
「設定8 博士には娘がいる」
[2-106]の意図を計るのは難しいが、主人公のモチベーションを提供していると考え得る(長井はうるるを見た時「アーッ お前 博士の娘でこの俺の大好きなうるる。」
[2-77]と叫んでいる)。少なくともネガティブな印象は無い。
「設定19 主人公は博士の命令でたった一人で世界を守らされる」
[1-61]は一見言わでもの印象があるが、この設定19まで、Eアンカーでは(明らかになっている限り)主人公の目的が設定されていない。設定19は初めて主人公のなすべき事が与えられた設定なのだ(むろん未出の設定で既に目的が与えられている可能性はある)。
「設定151 主人公は立派な大人になりたい」
[2-66]は方向性はともかく稚拙な内容だろうか? しかしこれは今までと異なり、設定151と番号がかなり進んでいる。この設定151より以前に既に長井の人格的な歪みは軽視できないレベルに達しているはずで、それを考えるならこの控え目な設定は長井の人格の修正に意味をもつだろう(もっとも実際の結果としては、全裸で警官から逃げながら「ダガこの俺は負ケンゾ。 / イツカきっと立派な大人になる。」
[2-61]と叫ぶという情けないものだったが……とはいえ、無いよりもましだったのかもしれない)。
総じてこの投稿者「匿名」にはEアンカーを良い方向に制御しようとする意図があり、すなわちこの投稿者「匿名」こそ音那なのではないかという推測が成り立つ。
音那自身がEアンカーを使って設定を創っているなら、投稿者の中に音那がいない事はむしろ不自然である。事実帽子の少年も「音那も何とか修正しようとしてるんだろうけど…」
[1-71]と音那の関与と修正を認めている。してみれば、この「くん」「ちゃん」付けが与えられていない特別な人物「匿名」が音那と解釈してもいいのではないか。
またもう一方の人物「匿名希望」(くり返しになるが、このサイトでは「匿名」の誤記等の可能性は考慮しない)である。この人物の現状で唯一の設定は「設定37 博士はなんだか死にかけている」
[1-62]というものだ。これを他の設定と比較するなら重要性が高いと言えるだろう。そのまま死に至った場合、物語は博士というキャラクターを失うからだ。しかしながら「(仮に音那とした)匿名」の例と同様に「匿名希望」が明確な意図をもって設定を創るなら、「博士は死ぬ」と書くべきであろう。あるいは博士を排除する意図がなく、「博士が死にかけている」という状況そのものに意味があったと考える事はできる。だが劇中にそれを思わせる描写の無い現時点では「匿名希望」の考えを追うことは難しい。あるいは「匿名希望」には「匿名」ほどの意味性をEアンカーに持たせることができないのかもしれない。
こうした点で「匿名」と「匿名希望」の二者にははっきりした差異があると言えるだろう。
ちなみにもう1名の匿名投稿者である「匿名希望ちゃん」の設定は「設定88 博士ってたまに落雷しそうですね」
[1-68]というもので、博士の死/不幸をストレートに指示する点では「匿名希望」と通じるところがある。これが偶然の一致なのか何らかの関連があるのか現時点では定かではない。
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