『第三世界の長井』 アンカー
アンカーについて、私達の知るべき事
『第三世界の長井』で使われる「アンカー」という概念は、作中ではそれが何なのかまだ正しく定義されていない。
「アンカー」という言葉は心理学用語でもあり、情報科学用語でもあり、洗脳理論にも用いられ、単純に「
アンカーがどれだけの効果を持つかは作中のケーススタディである程度判断できるが、総合的なその限界や原理はぼかして表現されている。
つまり、読者は現時点ではアンカーについて「超常的な凄い力」という認識だけを持って読んでも不都合はないだろう。
この章ではアンカーという概念を複数の角度から追うが、次章まで読み飛ばしてもおそらく何ら問題はない。
因果律
おぼろげではあるが、作中で最もアンカーについて説明的な表現は次のセリフだろう。
ストーリー中、最初の帽子の少年達の会議の席で、白髪の人物は音那のEアンカーを評してこう言った。
「こんなアンカーになんの意味があるんでしょう。 / あらゆるもの…万物の存在自体が有している他者への見えない影響力… / 彼女はどういうつもりなんだ…」[1-60]
通常のEアンカーの文面を思えば、彼が手にした紙(Eアンカー)を読み上げているとは考えにくい。ならば、アンカーとは後半にある通り「万物の存在自体が有している他者への見えない影響力」、またはそれを利用した/それに関連する力だと(少なくともこの人物の尺度を受け入れる限り)定義できるだろう。
この表現ではまだどこか判然としないところがあるが、ここから自然に連想できるのは作中たびたび登場する「因果律」という言葉である。
因果律とはひとことで言えば「すべての事象に原因がある」という考え方だ(厳密にはこの概念自体は立証されていないのだが、帽子の少年等がごく普通に使う以上、この作品世界では「ある」と考えていいだろう。そもそも彼らが厳密な意味で言っているかすら定かではない)。
例えば道の小石を蹴ったという原因があれば、小石が転がるという結果がある。そしてそれを蹴った靴に始まり、転がったアスファルト、蹴ろうとした気分、そもそも小石がそこに小石の形を維持して静止していられた物理的な理由まで、あらゆる物にはさまざまな原因があり結果があるはずだ。論理的・科学的な厳密性をさておけば、感覚的には当たり前にも感じられ、誰にでも受け入れやすい概念だろう。
この因果律の考えに従えば、白髪の紳士が言った「万物の存在自体が有している他者への見えない影響力」という言葉も意味は通る。実際のところあらゆる物は重力で互いに引かれ合っているし、人の脳はものを見ればそれが何であるか認識するようにできている。それを因果律の概念に沿って言い換えれば、まさにあらゆるものは他者への影響力を持っていると言える。
むろん作中ではそうした常識的な影響以上の(超常的な)事が起きているのだが、だとしてもこのセリフは因果律「的」な因果関係を示してはいるのだろう。
この作品において因果律という考え方はひとまず受け入れて良いだろう。そして一方、因果律を無視する様々な事象も読者の知る通りである。
「この力…やっぱりこいつ等 簡単に物理法則を破っちゃってる… / 因果律が限界だからこんな奴等が出てくんのか… / いずれ因果律は完全崩壊する。因果性を失った現実なんてただの夢だ… / こんな形で世界が終わるなんてな…」
[2-51] ラーメン星人が重力を無視して長井を磔にした時の帽子の少年の言葉だ。重力が無視されるという事は漫画では日常茶飯事だが、現実には物理学上あり得ない(忘れてはならないが、この作品世界は帽子の少年や音那ら超常の者達が何もしていない限りは、まったく現実的に進行するのだ)。因果律の観点から言えば、ラーメン星人の起こした重力の異常とは、原因と結果の異常であり、因果律の崩壊に他ならない。
この作品の世界観では、ある一点で因果律に矛盾が発生してもその瞬間に(それを起点に)全ての因果律が崩壊したりはせず、より大きなスケールの因果律は保たれ続けるようだ。とは言え少年の言葉によれば、その均衡は限界に達しつつあるという。もし因果律が完全に崩壊したら、世界はどうなるだろう? 原因と結果が正しく結ばれないとは、たとえば道の小石を蹴ると、石は強く光り輝くかもしれないし、ソファーになるかもしれないし、蹴った足もマッコウクジラになるかもしれないという事だ。おそらく時間の連続性も断たれるだろうから、石を蹴るつもりでペチュニアの鉢を捨てる事になるかもしれないし、それは数億年にわたるかもしれない。「因果性を失った現実なんてただの夢だ…」
[2-51]とは、そういう事である。それはまさに世界の終わりに等しいだろう。
「俺は因果律の破れを表沙汰にしたくねえだけだっての。」
[2-54]と帽子の少年は言い、事あるごとに長井の変身や宇宙人といった異常を周囲の目から隠そうとする。もし目撃者がいれば、それはまさに「因果律の破れを目撃した」という新たな因果関係を持つ事になるだろう。それが新たな因果律の破れを引き寄せる可能性となるのは言うまでもあるまい(劇中でそれが大事件になる場面はまだ現われていないが)。ただでさえ「長井が上書きされる事でドミノ的にデタラメな転移が周りで起こっちまう。現実の方が長井に押し負けてねじ曲げられてく。」
[2-20]という悪影響が発生しているのだ(これは長井の因果律に改変が起こる事で、本来あった因果関係が否定され、その矛盾が自動的にいわば「調整」されることを示しているのだろう)。帽子の少年は世界の終わりを少しでも遅らせるために、多少なりとも因果律の破れを隠そうと奔走しているのだ。
以上は作品中の因果律についての定義だ。ここでふたたびアンカーに戻ろう。
帽子の少年は火山噴火星人の危険性について「(…)その宇宙人はマジで火山を噴火させる力があるかもしれねえって事だ。 / 世界全体のアンカー…因果律が崩壊しかけてて…」
[2-91]と言った(この時彼は緊急時に冷静さをやや失っており、本来隠そうとしている因果律の崩壊に言及している)。この言葉をそのままにとらえるなら、「世界全体のアンカー
この定義に従えば、作中の用語としてのアンカーはこう言い換えることができる。
- アンカー
- 万物それぞれの持つ、他者との因果性
- アンカーを打つ
- 新しい(存在しなかった)因果関係を新造する、因果関係をつなぎ替える行為
- アンカーを上書きする
- 既にある因果関係を改訂する行為
因果律では、
それは当然ながら本来の因果律との間に矛盾を起こし、それが重大なものであれば彼らの意図を超えて別の因果律に深刻なダメージを与えるだろう。帽子の少年が火山噴火星人を消失させた際には「チキショウ…アンカーをいくつか上書きしちまったか? /…/ …くそっ、でかいアンカー打っちまった。こんなんじゃよそで何が起きてるか…」
[2-97]「書き換えるって意識もなくて… / だから必要以上にでかいアンカー打っちゃったみたいだ… / すげえ嫌な感覚があった。 / たぶんどっかでなんかムチャクチャな事が起こってる…」
[2-107]と言っている。彼らはアンカー(因果律)を調整して思い通りの結果を出す事はできても、それが周囲にどんな矛盾を起こしどんな影響を及ぼすのか、そこまで複雑な〈処理〉はできないようだ。
まして長井のように、単一の人物に何度も、時に矛盾さえする無茶なアンカー(因果律)の上書きが起これば、人間という存在が有する複雑な因果関係が激しい齟齬を起こし、言うなれば〈バグ〉が発生するだろう。「あいつもうすでにギチギチにアンカー打たれて歪みまくってんじゃねえか…」
[1-69]「こんな意味不明なアンカーばっかり打たれちゃ人格が持つわけねえよな…」
[1-79]と評される通りである。
アンカーの多義的解釈
安価
単純に『第三世界の長井』のストーリーを読めば、(そしてある程度ネット文化を把握していれば)「安価 スレ」の影響をごく自然に感じ取るだろう。
安価スレとは:
主に「2ちゃんねる」等の匿名掲示板文化で使われる一種のゲームルールである。
例えば創作型の安価スレであれば、まず進行役兼作家役となるスレ主(最初の投稿者)から「主人公は何者? >>15」「どうやって敵と戦う? >>30」といった設問が出される。参加者めいめいはこの設問に(たいていの場合いいかげんで無責任に)返信を投稿する。投稿は順次スレッドの返信(レス)という形で追記され、その通し番号がたまたま指定された番号と一致していた投稿が(つまり結果的に無作為抽出で)採用される。この例では、レス番号15に「平凡な高校生」、番号30に「スーパーヒーローに改造される」という返信があればそれが採用され、平凡な高校生がスーパーヒーローに改造されるストーリーが展開する事になる。
詳しく知ろうとすれば匿名掲示板のシステムを把握する必要があるし、また安価スレ自体のバリエーションも多岐にわたるので、ここではこれだけの説明にとどめる。Webを検索すれば「安価スレ」のサンプルが豊富に発見できるだろう。
この「安価スレ」のシステムは、『第三世界の長井』のEアンカーに従って長井らの設定や行動が決まる構造ととても似通っている。
落語の「三題噺」等、他人から〈お題〉をつのる物語遊びは古今様々に存在するが、中でも「アンカー」という共通語を持つ安価スレは直接的な影響を感じさせるだろう。
「安価」とはネットスラングで、語源はやはり「アンカー」である。Webのいわゆる「リンクを貼る」という行為は、突き詰めれば「<a>(anchor )」コマンドを入力する事であり、先の例では「>>15」など通し番号に自動的にリンクが設定されるため転じてこれをアンカー(安価)と呼ぶ。
「要するに音那さんがアンカーリンクを制御できてないんでしょう。」
[1-61]とカンジの言葉にあるように、『第三世界の長井』におけるアンカーもWeb同様にリンクという関係構造を持つと思しい事にも注目しておきたい(そしてこれは前述の因果律という概念とも馴染むだろう)。
アンカー効果
「アンカー」という語は、他に心理学用語でいう「アンカー効果」にも使われる。
これは簡単に言うなら、最初に与えられた情報が船(=認識)を繋ぎ止める錨(=基準点)となって後の判断に影響を及ぼすという、認知のバイアス(偏り)の一効果である。
この概念に沿って『第三世界の長井』の構造を当てはめるなら、「アンカーを打つ」とは認識の基準点を設定することであり、登場人物達は皆打たれたアンカーによって認識をずらされ、本来ありえないものを見聞きしている──と解釈することもできる(あくまで用語をもとにした拡大解釈である)。
これだけであれば、認識のトリックであって「世界の終わり」にはほど遠いだろうか? しかし多世界解釈の(中でも少なからず単純化されたフィクションの)ように、世界が無数の可能性の重ね合わせのまま平行しており、観測によって状態が決定(収束)したように「見える」とするならどうだろう。端的に言えば「世界中の人間に見えていないものは存在していないのと同義」であり、登場人物達はアンカーによって認識をずらされ、火山噴火星人の存在しない世界を半自動的に観測してしまう。あるいはポポカテペトル火山の噴火した世界を。
類型として、洗脳理論におけるアンカーも挙げられるだろうか。ここで詳述はしないが、アンカーは無意識下に打ち込まれる錨であり、プログラムされたトリガー(きっかけ)によって発現し被洗脳者の思考や感情をコントロールする。これも先の例と同様に認識のずれが世界を規定する事が眼目となる。
ただし、これらの文脈においては作中で言われる「因果律の破れ」は発生しない。いかに登場人物達の認識がずらされようと、彼らが世界を観測する事自体はむしろ必然であるからだ。因果律の破れに関しては、また異なる世界解釈が必要となるだろう。
Eアンカー
Eアンカーの定義
読者の視点から言えば、「Eアンカー」とは主に帽子の少年が手に持っている、「設定XX 〜」と書かれた形式のアンカーだと定義していいだろう。
仮に〈紙に書かれたアンカー〉と〈それ以外のアンカー〉に分類した場合、どちらも「アンカー」と呼ばれる事はあるが、「Eアンカー」と呼ばれるのは〈紙に書かれたアンカー〉のみである。この事から、Eアンカーはアンカーの一形態だと言える。
Eアンカーの「E」は前述の「安価」との関連もあってEメール (Electric-Mail) をも想起させるが、実際にはEアンカーを検討する会議の席上で「こんな… こんなものが本当にエクリチュール・アンカーで確定だと…」
[1-61]と言われているので、「エクリチュール」の略が「E」だと考えるのが自然だろう。
エクリチュール とはフランス語で「書くこと」「書かれたもの」を意味し、(『第三世界の長井』でしばしば用いられる)哲学用語では話し言葉 に対する書き言葉 という対立の文脈で扱われる。これらを正面きって理解しようとすれば難解だが、「エクリチュール・アンカー」に対しては単に「文字で記述された形式のアンカー」と字義通りにとらえるべきだろう(そもそも対立項としてあるべき〈パロール・アンカー〉が現時点では存在しないのだ)。
なぜ帽子の少年がしばしば使うような、文字を介さないアンカーでなく、あえて文面という形態をとるのか? わざわざ「エクリチュール・アンカー」と区別する語が定義されている以上、文章化される事で他にない特別なメリットが付随するのだと考えるのが自然だろう。おそらくそれこそが音那にとって都合の良い形だったのだろうが、今はまだそれを推測する段階ではあるまい。
読者対登場人物
Eアンカーは「設定(番号)(文面)(投稿者名)」という形式で、番号は昇り順ではあるが飛び飛びに五項前後が一コマにまとめて提示されている。──というのが、読者にとっての認識である。では帽子の少年らが目にしているのも同様の物なのだろうか?
文面が文字通りに読まれているのは疑うまでもないだろう(厳密を期して言えば「実は登場人物達は読者に明かされている設定とは重要な部分が異なる文面を読んでいて、その事実は読者に伏せられている」というトリックが仕掛けられている可能性は否定できない。しかしそれを疑えば考証の前提の大半を失うため、今のところ考慮しないでおく)。設定の番号についても「この設定…番号が進むほど因果律の確率的複雑さが増大してます。」
[2-64]とカンジが発言しており、「設定XX」の形式で彼らの目にも見えていると考えられる。一方、投稿者名(便宜的にこう呼ぶ)について劇中で触れられた事はない。話題にしてしかるべきだろう奇妙な部分なのだが、彼らにとってナンセンスすぎ手が付けられないのか、あるいは逆に当然すぎて話題にならないものなのか、ことによれば本当に見えていないのかもしれない。
一コマの設定=一枚の紙面として情報量が対応しているかも、疑わしいところがある。特に顕著なのは帽子の少年が学校を二度目に訪れた時で[1-68]、彼の手元には三枚の紙片があるが、漫画のコマとしては二コマしか読者に見えていない[1-68,69]。
この三枚のEアンカーはそのまま当夜の会議の席に持ち込まれているようだが(この時彼らが手にしている紙片の枚数はやはり三枚である[1-88])、ここで読者に新たに明かされた設定は二コマである。
つまり三枚の紙片に対し、都合四つのコマが対応している事になり、登場人物達の見る紙面と漫画のコマとの間には一種の「編集」があると思われる。
登場人物が知るEアンカー
『第三正解の長井』のストーリーが始まった時点で、帽子の少年らはアンカーの一形態としての、また呼称としてのE(エクリチュール)アンカーの存在自体は知っていたようだ。最初の会議の席上で彼らは特に説明もなく「とりあえず… / これは本物のEアンカーらしくて… / 長井はマジでこの設定通り動いてる…」
[1-60]「こんな… こんなものが本当にエクリチュール・アンカーで確定だと…」
[1-61]と、Eアンカーの存在を前提に話をしている。しかし知ってはいながら、目の前にあるEアンカーをEアンカーだと信じ切れないのも、先のセリフから見て取れるだろう。
つまり紙の状態のEアンカーはその超常性を感覚的に知覚できないし、結果から帰納法的に考える以外それがEアンカーだと証明することが不可能なのだ。雷が博士のトゲに落ちる[1-80]という確率ゼロに近い予言が実現してようやく「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と帽子の少年が確信したのはこのためである。
顕著な例は、物語冒頭の帽子の少年の反応である。彼がEアンカーを最初に見た時点では、何か別種の現実的なもの──いわゆる「黒歴史ノート」の類だろうか?──と考えていた節がある。
最初に音那と出会った段階では「実は伝説の勇者だの… / 侵略者から世界を守る孤独なヒーローだのって… / 特撮ものの企画かよ。 / これで高校生って…」
[1-9]と切り捨てているが(この発言は順に「設定4 主人公は正義を愛し平和を慈しむ選ばれた勇者」
「設定19 主人公は博士の命令でたった一人で世界を守らされる」
「設定3 主人公は平凡な高校生」
[1-61]を読んだための事だろう)、Eアンカー(あるいはその模造品)だという確信をもって読むならこのような発言は出てこないだろう。
初めて帽子の少年が手元の紙をEアンカーらしいと理解するのは、音那の説明があってからの事である(「博士は実際にイカ占いの世界的権威だ。 /…/ そんなものが世界規模であるなんて思えないはずだ。 / でもそういう事になったんだ。 /…/ そういう設定が創られたから。」
[1-29,30]「設定? / 設定ってお前… / じゃあこれ… / マジで…」
[1-30,31])。
これらを総合するなら、帽子の少年は(この時点で)Eアンカーの存在は知っていたにしろ、設定うんぬんという形態について未知であったと思しい。おそらく彼(ら)はEアンカーの実物を見た事がなかったか、あるいは以前に見たEアンカーと今回音那の用意したそれとには大きな違いがあったのだろう。
彼らがEアンカーを知った/見たのが、劇中より過去なのはここまでの描写から明らかだ。だとすればそれはまだ語られていない、帽子の少年の過去や、近付く世界の破滅に何らかの関係を持つのかもしれない。
どこから来て、……
「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と言われるように、(少なくとも今回の事件で)Eアンカーは手紙の体裁をしている。それは帽子の少年が手にしているように洋形封筒[1-28,60など]に入っており、これに便箋状の紙片が入っているのだから手紙と呼んで無理はないだろう。
とは言え一般的な手紙とは違って、郵便局の手を経て、または送り主が手ずから届けているものではないようだ。
たとえば二度目に高校の前で長井を待つ帽子の少年[1-68]は、おもむろに封筒を開いて「手紙」を取り出すと、まず「設定94 長井は関羽と張飛という義理の弟がいる」
を見て「…何の目的で集まっちゃったんだよ。」
[1-68]と疑問を口にする。次に紙をめくろうとして「ん?」
[1-69]と違和感をおぼえる(おそらく1枚だけ紙の体裁が異なる事にだろう)。それは「設定12 主人公のビジュアル」
[1-69]の絵だったのだが、これを見て「…やっぱりこういう事か。」
[1-69]と得心した。
この一連の少年の感想は、彼が初めてこのEアンカーを目にした事を物語っている。
この手紙が郵送物であれば、少年の住処なり仲間達の誰かの元なり、届いた時点で緊急に中身が改められていたはずだ。少なくともこのように校門の前でおもむろに見るべき物ではありえない。
逆に言えば、帽子の少年はこの直前、校門前かそのごく近くで手紙を入手しているはずなのだ。
これと同様に、駅前の歩行者回廊で開いた手紙[1-3]を道を歩きながら読んで「…何これ。」
[1-6]と漏らしたり、やはり歩行者回廊の手すりに腰かけながら「…クマ?」
[2-106]とその内容(「設定161 博士は道の追求の為北海道でクマと戦う」
)に呆れたりと、帽子の少年が道端で初めてEアンカーを読んでいる場面は多い。
かと思えば自室でカップ麺を食べながら「馬謖… どんな過去だよ。」
(「設定160 主人公は以前泣いて馬謖をメッタ斬りにした」
)[2-66]と訝しんでもいる。
要するにEアンカーの手紙の入手経路は、かなり位置的にアトランダムなものだと考えられる。
何者かによる手渡しかもしれないし、目に付きやすいような形で落ちているのかもしれない。「気が付くとポケットに入っていた」ようなトリックを使われているとも考えられる。当初彼らが手紙をEアンカーとして理解しきれなかった事から察するに、不自然すぎる出現ではなかった事だけは確かだろう(例えば手紙が光り輝きながら空からゆっくりと降りてきたならば、この手紙には超常の力が関わっていると考えずにおれないはずだ)。
奇妙な事だが、Eアンカーの手紙はこれまで「いつ」「どこで」「誰が」「どのように」届けたのかが一切省略されて描かれている。ここには(読者に対し)隠すべき秘密があるのだろうか? ここまで徹底して省略されている以上、その出現のシーン(があるとすれば)には注目しておくべきだろう。
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- 注記のない限り引用はすべて『第三世界の長井』(ながいけん著)より
単純に『第三世界の長井』のストーリーを読めば、(そしてある程度ネット文化を把握していれば)「
安価スレとは:
主に「2ちゃんねる」等の匿名掲示板文化で使われる一種のゲームルールである。
例えば創作型の安価スレであれば、まず進行役兼作家役となるスレ主(最初の投稿者)から「主人公は何者? >>15」「どうやって敵と戦う? >>30」といった設問が出される。参加者めいめいはこの設問に(たいていの場合いいかげんで無責任に)返信を投稿する。投稿は順次スレッドの返信(レス)という形で追記され、その通し番号がたまたま指定された番号と一致していた投稿が(つまり結果的に無作為抽出で)採用される。この例では、レス番号15に「平凡な高校生」、番号30に「スーパーヒーローに改造される」という返信があればそれが採用され、平凡な高校生がスーパーヒーローに改造されるストーリーが展開する事になる。
詳しく知ろうとすれば匿名掲示板のシステムを把握する必要があるし、また安価スレ自体のバリエーションも多岐にわたるので、ここではこれだけの説明にとどめる。Webを検索すれば「安価スレ」のサンプルが豊富に発見できるだろう。
この「安価スレ」のシステムは、『第三世界の長井』のEアンカーに従って長井らの設定や行動が決まる構造ととても似通っている。
落語の「三題噺」等、他人から〈お題〉をつのる物語遊びは古今様々に存在するが、中でも「アンカー」という共通語を持つ安価スレは直接的な影響を感じさせるだろう。
「安価」とはネットスラングで、語源はやはり「アンカー」である。Webのいわゆる「リンクを貼る」という行為は、突き詰めれば「<a>(
「要するに音那さんがアンカーリンクを制御できてないんでしょう。」
[1-61]とカンジの言葉にあるように、『第三世界の長井』におけるアンカーもWeb同様にリンクという関係構造を持つと思しい事にも注目しておきたい(そしてこれは前述の因果律という概念とも馴染むだろう)。
「アンカー」という語は、他に心理学用語でいう「アンカー効果」にも使われる。
これは簡単に言うなら、最初に与えられた情報が船(=認識)を繋ぎ止める錨(=基準点)となって後の判断に影響を及ぼすという、認知のバイアス(偏り)の一効果である。
この概念に沿って『第三世界の長井』の構造を当てはめるなら、「アンカーを打つ」とは認識の基準点を設定することであり、登場人物達は皆打たれたアンカーによって認識をずらされ、本来ありえないものを見聞きしている──と解釈することもできる(あくまで用語をもとにした拡大解釈である)。
これだけであれば、認識のトリックであって「世界の終わり」にはほど遠いだろうか? しかし多世界解釈の(中でも少なからず単純化されたフィクションの)ように、世界が無数の可能性の重ね合わせのまま平行しており、観測によって状態が決定(収束)したように「見える」とするならどうだろう。端的に言えば「世界中の人間に見えていないものは存在していないのと同義」であり、登場人物達はアンカーによって認識をずらされ、火山噴火星人の存在しない世界を半自動的に観測してしまう。あるいはポポカテペトル火山の噴火した世界を。
類型として、洗脳理論におけるアンカーも挙げられるだろうか。ここで詳述はしないが、アンカーは無意識下に打ち込まれる錨であり、プログラムされたトリガー(きっかけ)によって発現し被洗脳者の思考や感情をコントロールする。これも先の例と同様に認識のずれが世界を規定する事が眼目となる。
ただし、これらの文脈においては作中で言われる「因果律の破れ」は発生しない。いかに登場人物達の認識がずらされようと、彼らが世界を観測する事自体はむしろ必然であるからだ。因果律の破れに関しては、また異なる世界解釈が必要となるだろう。
Eアンカー
Eアンカーの定義
読者の視点から言えば、「Eアンカー」とは主に帽子の少年が手に持っている、「設定XX 〜」と書かれた形式のアンカーだと定義していいだろう。
仮に〈紙に書かれたアンカー〉と〈それ以外のアンカー〉に分類した場合、どちらも「アンカー」と呼ばれる事はあるが、「Eアンカー」と呼ばれるのは〈紙に書かれたアンカー〉のみである。この事から、Eアンカーはアンカーの一形態だと言える。
Eアンカーの「E」は前述の「安価」との関連もあってEメール (Electric-Mail) をも想起させるが、実際にはEアンカーを検討する会議の席上で「こんな… こんなものが本当にエクリチュール・アンカーで確定だと…」
[1-61]と言われているので、「エクリチュール」の略が「E」だと考えるのが自然だろう。
エクリチュール とはフランス語で「書くこと」「書かれたもの」を意味し、(『第三世界の長井』でしばしば用いられる)哲学用語では話し言葉 に対する書き言葉 という対立の文脈で扱われる。これらを正面きって理解しようとすれば難解だが、「エクリチュール・アンカー」に対しては単に「文字で記述された形式のアンカー」と字義通りにとらえるべきだろう(そもそも対立項としてあるべき〈パロール・アンカー〉が現時点では存在しないのだ)。
なぜ帽子の少年がしばしば使うような、文字を介さないアンカーでなく、あえて文面という形態をとるのか? わざわざ「エクリチュール・アンカー」と区別する語が定義されている以上、文章化される事で他にない特別なメリットが付随するのだと考えるのが自然だろう。おそらくそれこそが音那にとって都合の良い形だったのだろうが、今はまだそれを推測する段階ではあるまい。
読者対登場人物
Eアンカーは「設定(番号)(文面)(投稿者名)」という形式で、番号は昇り順ではあるが飛び飛びに五項前後が一コマにまとめて提示されている。──というのが、読者にとっての認識である。では帽子の少年らが目にしているのも同様の物なのだろうか?
文面が文字通りに読まれているのは疑うまでもないだろう(厳密を期して言えば「実は登場人物達は読者に明かされている設定とは重要な部分が異なる文面を読んでいて、その事実は読者に伏せられている」というトリックが仕掛けられている可能性は否定できない。しかしそれを疑えば考証の前提の大半を失うため、今のところ考慮しないでおく)。設定の番号についても「この設定…番号が進むほど因果律の確率的複雑さが増大してます。」
[2-64]とカンジが発言しており、「設定XX」の形式で彼らの目にも見えていると考えられる。一方、投稿者名(便宜的にこう呼ぶ)について劇中で触れられた事はない。話題にしてしかるべきだろう奇妙な部分なのだが、彼らにとってナンセンスすぎ手が付けられないのか、あるいは逆に当然すぎて話題にならないものなのか、ことによれば本当に見えていないのかもしれない。
一コマの設定=一枚の紙面として情報量が対応しているかも、疑わしいところがある。特に顕著なのは帽子の少年が学校を二度目に訪れた時で[1-68]、彼の手元には三枚の紙片があるが、漫画のコマとしては二コマしか読者に見えていない[1-68,69]。
この三枚のEアンカーはそのまま当夜の会議の席に持ち込まれているようだが(この時彼らが手にしている紙片の枚数はやはり三枚である[1-88])、ここで読者に新たに明かされた設定は二コマである。
つまり三枚の紙片に対し、都合四つのコマが対応している事になり、登場人物達の見る紙面と漫画のコマとの間には一種の「編集」があると思われる。
登場人物が知るEアンカー
『第三正解の長井』のストーリーが始まった時点で、帽子の少年らはアンカーの一形態としての、また呼称としてのE(エクリチュール)アンカーの存在自体は知っていたようだ。最初の会議の席上で彼らは特に説明もなく「とりあえず… / これは本物のEアンカーらしくて… / 長井はマジでこの設定通り動いてる…」
[1-60]「こんな… こんなものが本当にエクリチュール・アンカーで確定だと…」
[1-61]と、Eアンカーの存在を前提に話をしている。しかし知ってはいながら、目の前にあるEアンカーをEアンカーだと信じ切れないのも、先のセリフから見て取れるだろう。
つまり紙の状態のEアンカーはその超常性を感覚的に知覚できないし、結果から帰納法的に考える以外それがEアンカーだと証明することが不可能なのだ。雷が博士のトゲに落ちる[1-80]という確率ゼロに近い予言が実現してようやく「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と帽子の少年が確信したのはこのためである。
顕著な例は、物語冒頭の帽子の少年の反応である。彼がEアンカーを最初に見た時点では、何か別種の現実的なもの──いわゆる「黒歴史ノート」の類だろうか?──と考えていた節がある。
最初に音那と出会った段階では「実は伝説の勇者だの… / 侵略者から世界を守る孤独なヒーローだのって… / 特撮ものの企画かよ。 / これで高校生って…」
[1-9]と切り捨てているが(この発言は順に「設定4 主人公は正義を愛し平和を慈しむ選ばれた勇者」
「設定19 主人公は博士の命令でたった一人で世界を守らされる」
「設定3 主人公は平凡な高校生」
[1-61]を読んだための事だろう)、Eアンカー(あるいはその模造品)だという確信をもって読むならこのような発言は出てこないだろう。
初めて帽子の少年が手元の紙をEアンカーらしいと理解するのは、音那の説明があってからの事である(「博士は実際にイカ占いの世界的権威だ。 /…/ そんなものが世界規模であるなんて思えないはずだ。 / でもそういう事になったんだ。 /…/ そういう設定が創られたから。」
[1-29,30]「設定? / 設定ってお前… / じゃあこれ… / マジで…」
[1-30,31])。
これらを総合するなら、帽子の少年は(この時点で)Eアンカーの存在は知っていたにしろ、設定うんぬんという形態について未知であったと思しい。おそらく彼(ら)はEアンカーの実物を見た事がなかったか、あるいは以前に見たEアンカーと今回音那の用意したそれとには大きな違いがあったのだろう。
彼らがEアンカーを知った/見たのが、劇中より過去なのはここまでの描写から明らかだ。だとすればそれはまだ語られていない、帽子の少年の過去や、近付く世界の破滅に何らかの関係を持つのかもしれない。
どこから来て、……
「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と言われるように、(少なくとも今回の事件で)Eアンカーは手紙の体裁をしている。それは帽子の少年が手にしているように洋形封筒[1-28,60など]に入っており、これに便箋状の紙片が入っているのだから手紙と呼んで無理はないだろう。
とは言え一般的な手紙とは違って、郵便局の手を経て、または送り主が手ずから届けているものではないようだ。
たとえば二度目に高校の前で長井を待つ帽子の少年[1-68]は、おもむろに封筒を開いて「手紙」を取り出すと、まず「設定94 長井は関羽と張飛という義理の弟がいる」
を見て「…何の目的で集まっちゃったんだよ。」
[1-68]と疑問を口にする。次に紙をめくろうとして「ん?」
[1-69]と違和感をおぼえる(おそらく1枚だけ紙の体裁が異なる事にだろう)。それは「設定12 主人公のビジュアル」
[1-69]の絵だったのだが、これを見て「…やっぱりこういう事か。」
[1-69]と得心した。
この一連の少年の感想は、彼が初めてこのEアンカーを目にした事を物語っている。
この手紙が郵送物であれば、少年の住処なり仲間達の誰かの元なり、届いた時点で緊急に中身が改められていたはずだ。少なくともこのように校門の前でおもむろに見るべき物ではありえない。
逆に言えば、帽子の少年はこの直前、校門前かそのごく近くで手紙を入手しているはずなのだ。
これと同様に、駅前の歩行者回廊で開いた手紙[1-3]を道を歩きながら読んで「…何これ。」
[1-6]と漏らしたり、やはり歩行者回廊の手すりに腰かけながら「…クマ?」
[2-106]とその内容(「設定161 博士は道の追求の為北海道でクマと戦う」
)に呆れたりと、帽子の少年が道端で初めてEアンカーを読んでいる場面は多い。
かと思えば自室でカップ麺を食べながら「馬謖… どんな過去だよ。」
(「設定160 主人公は以前泣いて馬謖をメッタ斬りにした」
)[2-66]と訝しんでもいる。
要するにEアンカーの手紙の入手経路は、かなり位置的にアトランダムなものだと考えられる。
何者かによる手渡しかもしれないし、目に付きやすいような形で落ちているのかもしれない。「気が付くとポケットに入っていた」ようなトリックを使われているとも考えられる。当初彼らが手紙をEアンカーとして理解しきれなかった事から察するに、不自然すぎる出現ではなかった事だけは確かだろう(例えば手紙が光り輝きながら空からゆっくりと降りてきたならば、この手紙には超常の力が関わっていると考えずにおれないはずだ)。
奇妙な事だが、Eアンカーの手紙はこれまで「いつ」「どこで」「誰が」「どのように」届けたのかが一切省略されて描かれている。ここには(読者に対し)隠すべき秘密があるのだろうか? ここまで徹底して省略されている以上、その出現のシーン(があるとすれば)には注目しておくべきだろう。
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- © 2024 杉浦印字
- 注記のない限り引用はすべて『第三世界の長井』(ながいけん著)より
読者の視点から言えば、「Eアンカー」とは主に帽子の少年が手に持っている、「設定XX 〜」と書かれた形式のアンカーだと定義していいだろう。
仮に〈紙に書かれたアンカー〉と〈それ以外のアンカー〉に分類した場合、どちらも「アンカー」と呼ばれる事はあるが、「Eアンカー」と呼ばれるのは〈紙に書かれたアンカー〉のみである。この事から、Eアンカーはアンカーの一形態だと言える。
Eアンカーの「E」は前述の「安価」との関連もあってEメール (Electric-Mail) をも想起させるが、実際にはEアンカーを検討する会議の席上で「こんな… こんなものが本当にエクリチュール・アンカーで確定だと…」
[1-61]と言われているので、「エクリチュール」の略が「E」だと考えるのが自然だろう。
なぜ帽子の少年がしばしば使うような、文字を介さないアンカーでなく、あえて文面という形態をとるのか? わざわざ「エクリチュール・アンカー」と区別する語が定義されている以上、文章化される事で他にない特別なメリットが付随するのだと考えるのが自然だろう。おそらくそれこそが音那にとって都合の良い形だったのだろうが、今はまだそれを推測する段階ではあるまい。
Eアンカーは「設定(番号)(文面)(投稿者名)」という形式で、番号は昇り順ではあるが飛び飛びに五項前後が一コマにまとめて提示されている。──というのが、読者にとっての認識である。では帽子の少年らが目にしているのも同様の物なのだろうか?
文面が文字通りに読まれているのは疑うまでもないだろう(厳密を期して言えば「実は登場人物達は読者に明かされている設定とは重要な部分が異なる文面を読んでいて、その事実は読者に伏せられている」というトリックが仕掛けられている可能性は否定できない。しかしそれを疑えば考証の前提の大半を失うため、今のところ考慮しないでおく)。設定の番号についても「この設定…番号が進むほど因果律の確率的複雑さが増大してます。」
[2-64]とカンジが発言しており、「設定XX」の形式で彼らの目にも見えていると考えられる。一方、投稿者名(便宜的にこう呼ぶ)について劇中で触れられた事はない。話題にしてしかるべきだろう奇妙な部分なのだが、彼らにとってナンセンスすぎ手が付けられないのか、あるいは逆に当然すぎて話題にならないものなのか、ことによれば本当に見えていないのかもしれない。
一コマの設定=一枚の紙面として情報量が対応しているかも、疑わしいところがある。特に顕著なのは帽子の少年が学校を二度目に訪れた時で[1-68]、彼の手元には三枚の紙片があるが、漫画のコマとしては二コマしか読者に見えていない[1-68,69]。
この三枚のEアンカーはそのまま当夜の会議の席に持ち込まれているようだが(この時彼らが手にしている紙片の枚数はやはり三枚である[1-88])、ここで読者に新たに明かされた設定は二コマである。
つまり三枚の紙片に対し、都合四つのコマが対応している事になり、登場人物達の見る紙面と漫画のコマとの間には一種の「編集」があると思われる。
登場人物が知るEアンカー
『第三正解の長井』のストーリーが始まった時点で、帽子の少年らはアンカーの一形態としての、また呼称としてのE(エクリチュール)アンカーの存在自体は知っていたようだ。最初の会議の席上で彼らは特に説明もなく「とりあえず… / これは本物のEアンカーらしくて… / 長井はマジでこの設定通り動いてる…」
[1-60]「こんな… こんなものが本当にエクリチュール・アンカーで確定だと…」
[1-61]と、Eアンカーの存在を前提に話をしている。しかし知ってはいながら、目の前にあるEアンカーをEアンカーだと信じ切れないのも、先のセリフから見て取れるだろう。
つまり紙の状態のEアンカーはその超常性を感覚的に知覚できないし、結果から帰納法的に考える以外それがEアンカーだと証明することが不可能なのだ。雷が博士のトゲに落ちる[1-80]という確率ゼロに近い予言が実現してようやく「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と帽子の少年が確信したのはこのためである。
顕著な例は、物語冒頭の帽子の少年の反応である。彼がEアンカーを最初に見た時点では、何か別種の現実的なもの──いわゆる「黒歴史ノート」の類だろうか?──と考えていた節がある。
最初に音那と出会った段階では「実は伝説の勇者だの… / 侵略者から世界を守る孤独なヒーローだのって… / 特撮ものの企画かよ。 / これで高校生って…」
[1-9]と切り捨てているが(この発言は順に「設定4 主人公は正義を愛し平和を慈しむ選ばれた勇者」
「設定19 主人公は博士の命令でたった一人で世界を守らされる」
「設定3 主人公は平凡な高校生」
[1-61]を読んだための事だろう)、Eアンカー(あるいはその模造品)だという確信をもって読むならこのような発言は出てこないだろう。
初めて帽子の少年が手元の紙をEアンカーらしいと理解するのは、音那の説明があってからの事である(「博士は実際にイカ占いの世界的権威だ。 /…/ そんなものが世界規模であるなんて思えないはずだ。 / でもそういう事になったんだ。 /…/ そういう設定が創られたから。」
[1-29,30]「設定? / 設定ってお前… / じゃあこれ… / マジで…」
[1-30,31])。
これらを総合するなら、帽子の少年は(この時点で)Eアンカーの存在は知っていたにしろ、設定うんぬんという形態について未知であったと思しい。おそらく彼(ら)はEアンカーの実物を見た事がなかったか、あるいは以前に見たEアンカーと今回音那の用意したそれとには大きな違いがあったのだろう。
彼らがEアンカーを知った/見たのが、劇中より過去なのはここまでの描写から明らかだ。だとすればそれはまだ語られていない、帽子の少年の過去や、近付く世界の破滅に何らかの関係を持つのかもしれない。
どこから来て、……
「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と言われるように、(少なくとも今回の事件で)Eアンカーは手紙の体裁をしている。それは帽子の少年が手にしているように洋形封筒[1-28,60など]に入っており、これに便箋状の紙片が入っているのだから手紙と呼んで無理はないだろう。
とは言え一般的な手紙とは違って、郵便局の手を経て、または送り主が手ずから届けているものではないようだ。
たとえば二度目に高校の前で長井を待つ帽子の少年[1-68]は、おもむろに封筒を開いて「手紙」を取り出すと、まず「設定94 長井は関羽と張飛という義理の弟がいる」
を見て「…何の目的で集まっちゃったんだよ。」
[1-68]と疑問を口にする。次に紙をめくろうとして「ん?」
[1-69]と違和感をおぼえる(おそらく1枚だけ紙の体裁が異なる事にだろう)。それは「設定12 主人公のビジュアル」
[1-69]の絵だったのだが、これを見て「…やっぱりこういう事か。」
[1-69]と得心した。
この一連の少年の感想は、彼が初めてこのEアンカーを目にした事を物語っている。
この手紙が郵送物であれば、少年の住処なり仲間達の誰かの元なり、届いた時点で緊急に中身が改められていたはずだ。少なくともこのように校門の前でおもむろに見るべき物ではありえない。
逆に言えば、帽子の少年はこの直前、校門前かそのごく近くで手紙を入手しているはずなのだ。
これと同様に、駅前の歩行者回廊で開いた手紙[1-3]を道を歩きながら読んで「…何これ。」
[1-6]と漏らしたり、やはり歩行者回廊の手すりに腰かけながら「…クマ?」
[2-106]とその内容(「設定161 博士は道の追求の為北海道でクマと戦う」
)に呆れたりと、帽子の少年が道端で初めてEアンカーを読んでいる場面は多い。
かと思えば自室でカップ麺を食べながら「馬謖… どんな過去だよ。」
(「設定160 主人公は以前泣いて馬謖をメッタ斬りにした」
)[2-66]と訝しんでもいる。
要するにEアンカーの手紙の入手経路は、かなり位置的にアトランダムなものだと考えられる。
何者かによる手渡しかもしれないし、目に付きやすいような形で落ちているのかもしれない。「気が付くとポケットに入っていた」ようなトリックを使われているとも考えられる。当初彼らが手紙をEアンカーとして理解しきれなかった事から察するに、不自然すぎる出現ではなかった事だけは確かだろう(例えば手紙が光り輝きながら空からゆっくりと降りてきたならば、この手紙には超常の力が関わっていると考えずにおれないはずだ)。
奇妙な事だが、Eアンカーの手紙はこれまで「いつ」「どこで」「誰が」「どのように」届けたのかが一切省略されて描かれている。ここには(読者に対し)隠すべき秘密があるのだろうか? ここまで徹底して省略されている以上、その出現のシーン(があるとすれば)には注目しておくべきだろう。
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- © 2024 杉浦印字
- 注記のない限り引用はすべて『第三世界の長井』(ながいけん著)より
『第三正解の長井』のストーリーが始まった時点で、帽子の少年らはアンカーの一形態としての、また呼称としてのE(エクリチュール)アンカーの存在自体は知っていたようだ。最初の会議の席上で彼らは特に説明もなく「とりあえず… / これは本物のEアンカーらしくて… / 長井はマジでこの設定通り動いてる…」
[1-60]「こんな… こんなものが本当にエクリチュール・アンカーで確定だと…」
[1-61]と、Eアンカーの存在を前提に話をしている。しかし知ってはいながら、目の前にあるEアンカーをEアンカーだと信じ切れないのも、先のセリフから見て取れるだろう。
つまり紙の状態のEアンカーはその超常性を感覚的に知覚できないし、結果から帰納法的に考える以外それがEアンカーだと証明することが不可能なのだ。雷が博士のトゲに落ちる[1-80]という確率ゼロに近い予言が実現してようやく「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と帽子の少年が確信したのはこのためである。
顕著な例は、物語冒頭の帽子の少年の反応である。彼がEアンカーを最初に見た時点では、何か別種の現実的なもの──いわゆる「黒歴史ノート」の類だろうか?──と考えていた節がある。
最初に音那と出会った段階では「実は伝説の勇者だの… / 侵略者から世界を守る孤独なヒーローだのって… / 特撮ものの企画かよ。 / これで高校生って…」
[1-9]と切り捨てているが(この発言は順に「設定4 主人公は正義を愛し平和を慈しむ選ばれた勇者」
「設定19 主人公は博士の命令でたった一人で世界を守らされる」
「設定3 主人公は平凡な高校生」
[1-61]を読んだための事だろう)、Eアンカー(あるいはその模造品)だという確信をもって読むならこのような発言は出てこないだろう。
初めて帽子の少年が手元の紙をEアンカーらしいと理解するのは、音那の説明があってからの事である(「博士は実際にイカ占いの世界的権威だ。 /…/ そんなものが世界規模であるなんて思えないはずだ。 / でもそういう事になったんだ。 /…/ そういう設定が創られたから。」
[1-29,30]「設定? / 設定ってお前… / じゃあこれ… / マジで…」
[1-30,31])。
これらを総合するなら、帽子の少年は(この時点で)Eアンカーの存在は知っていたにしろ、設定うんぬんという形態について未知であったと思しい。おそらく彼(ら)はEアンカーの実物を見た事がなかったか、あるいは以前に見たEアンカーと今回音那の用意したそれとには大きな違いがあったのだろう。
彼らがEアンカーを知った/見たのが、劇中より過去なのはここまでの描写から明らかだ。だとすればそれはまだ語られていない、帽子の少年の過去や、近付く世界の破滅に何らかの関係を持つのかもしれない。
「駄目だ…あの手紙は間違いなくEアンカーだ…」
[1-82]と言われるように、(少なくとも今回の事件で)Eアンカーは手紙の体裁をしている。それは帽子の少年が手にしているように洋形封筒[1-28,60など]に入っており、これに便箋状の紙片が入っているのだから手紙と呼んで無理はないだろう。
とは言え一般的な手紙とは違って、郵便局の手を経て、または送り主が手ずから届けているものではないようだ。
たとえば二度目に高校の前で長井を待つ帽子の少年[1-68]は、おもむろに封筒を開いて「手紙」を取り出すと、まず「設定94 長井は関羽と張飛という義理の弟がいる」
を見て「…何の目的で集まっちゃったんだよ。」
[1-68]と疑問を口にする。次に紙をめくろうとして「ん?」
[1-69]と違和感をおぼえる(おそらく1枚だけ紙の体裁が異なる事にだろう)。それは「設定12 主人公のビジュアル」
[1-69]の絵だったのだが、これを見て「…やっぱりこういう事か。」
[1-69]と得心した。
この一連の少年の感想は、彼が初めてこのEアンカーを目にした事を物語っている。
この手紙が郵送物であれば、少年の住処なり仲間達の誰かの元なり、届いた時点で緊急に中身が改められていたはずだ。少なくともこのように校門の前でおもむろに見るべき物ではありえない。
逆に言えば、帽子の少年はこの直前、校門前かそのごく近くで手紙を入手しているはずなのだ。
これと同様に、駅前の歩行者回廊で開いた手紙[1-3]を道を歩きながら読んで「…何これ。」
[1-6]と漏らしたり、やはり歩行者回廊の手すりに腰かけながら「…クマ?」
[2-106]とその内容(「設定161 博士は道の追求の為北海道でクマと戦う」
)に呆れたりと、帽子の少年が道端で初めてEアンカーを読んでいる場面は多い。
かと思えば自室でカップ麺を食べながら「馬謖… どんな過去だよ。」
(「設定160 主人公は以前泣いて馬謖をメッタ斬りにした」
)[2-66]と訝しんでもいる。
要するにEアンカーの手紙の入手経路は、かなり位置的にアトランダムなものだと考えられる。
何者かによる手渡しかもしれないし、目に付きやすいような形で落ちているのかもしれない。「気が付くとポケットに入っていた」ようなトリックを使われているとも考えられる。当初彼らが手紙をEアンカーとして理解しきれなかった事から察するに、不自然すぎる出現ではなかった事だけは確かだろう(例えば手紙が光り輝きながら空からゆっくりと降りてきたならば、この手紙には超常の力が関わっていると考えずにおれないはずだ)。
奇妙な事だが、Eアンカーの手紙はこれまで「いつ」「どこで」「誰が」「どのように」届けたのかが一切省略されて描かれている。ここには(読者に対し)隠すべき秘密があるのだろうか? ここまで徹底して省略されている以上、その出現のシーン(があるとすれば)には注目しておくべきだろう。
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- 注記のない限り引用はすべて『第三世界の長井』(ながいけん著)より